「100年続く企業を目指して」— 常務取締役 金 鑫龍インタビュー

-日本に来たきっかけは何だったのでしょうか?
私が日本に来たのは2005年のことです。きっかけは兄の存在でした。兄は日本に留学し、その後日本で就職しており、兄の体験談を聞くうちに日本に興味を持つようになりました。当時、私は中国の大学で経営管理を学んでおり、日本企業についても研究していました。
パナソニックなどの長い歴史を持つ企業の事例を学ぶ中で、日本には100年以上続く企業が多く存在していることに驚き、直接その理由を知りたいと思い、日本への留学を決意しました。
-代表の許さんとの出会いについて教えてください。
日本語を一から学ぶ必要があったため、まずは1年間、日本語学校で勉強し、その後、日本の大学の経営学科に進学しました。日本の大学では、特に会計を中心に深く学び、専門知識を深めるために専任教授の講義を受けていました。その頃、許さんとも出会い、同じ授業を受ける中で意気投合しました。授業だけでなく、サッカーやアルバイトなどでも共に時間を過ごすことが増え、お互いの価値観や考え方を理解するきっかけになりました。
-Fujidouを創業した経緯を教えてください。
大学卒業後、私は別の大学院へ、許さんも別の大学院へ進学し、それぞれの道で知識と経験を積んでいました。その間、いつか一緒にビジネスをしたいという話は何度も出ていたものの、具体的に動き出す機会がありませんでした。しかし2015年、中国市場で日本製品の需要が急速に高まり、特に高品質な商材への関心が強まってきたのを受け、改めて一緒に何か始めるべきではないかと本格的に話し合いました。
最初は本当に小さな規模からのスタートでした。数万円規模の取引から始まり、手探りで市場を調査しながら一つ一つの取引を丁寧に重ねていきました。初めの頃は限られた顧客との信頼関係を築くことに重点を置き、どのようにして満足していただけるかを試行錯誤していました。
少額ながらも確実に利益を積み上げることで、徐々に事業の手応えを感じ始めました。
許さんが先にFujidouを立ち上げた際、私は最初はフルタイムで関わることができなかったのですが、週末に事業計画を一緒に練り上げる形で協力していました。そして1年半後、正式に私も合流し、事業拡大に本格的に取り組むことになりました。
-創業当時に直面した困難と、それをどう乗り越えたかを教えてください。
創業当初は数多くの困難に直面しました。市場調査や取引先の開拓、資金繰りなど、すべてが手探り状態で、正解が見えない中での挑戦の連続でした。初めての商談では信頼を得るのに苦労し、商材の選定や価格交渉の面でも思うように進まないことが多々ありました。
また、ビジネスモデルの検証や顧客ニーズの把握も十分でなく、試行錯誤を繰り返す日々が続きました。しかし、壁にぶつかるたびに許さんと話し合い、解決策を模索しました。失敗から学び、改善を繰り返す姿勢が徐々に成果につながりました。
特に「リスクを恐れずにチャレンジする」姿勢は、今もFujidouの根幹にあります。新しいアイデアを常に取り入れ、柔軟に戦略を見直しながら、変化に適応し続けることが成長の鍵であると強く実感しています。これからも、変化を恐れずに挑戦し続ける精神を持ち、企業のさらなる発展を目指しています。
-社員教育や経営層の成長への取り組みについて教えてください。
現在、社員と経営層の成長を重視し、積極的に外部セミナーや研修に参加しています。業界の最新トレンドや経営ノウハウを学ぶだけでなく、異業種のリーダーとのネットワークを通じて新たな視点を取り入れる機会を大切にしています。
新入社員には、OJTを通じて実務的なスキルを習得してもらうだけでなく、同時に外部の研修を受けてもらうことで視野を広げてもらっています。管理職についても、マネジメント研修やリーダーシップトレーニングを受けさせることで、チームの統率力やメンバー育成力の向上を図っています。
-将来のビジョンについてお聞かせください。
私のビジョンは、100年続く企業を作ることです。単に売上や利益の拡大だけではなく、健全な財務体制と人材育成を軸に、長く存続する企業を目指しています。日本の企業のように、長い歴史を持つことの価値を深く理解しており、その実現に向けて日々努力しています。これからも許さんと共に、Fujidouの成長と発展のために挑戦を続けていきます。